あるとき「マイズナーテクニックをやることで伸びる力は?」という質問が出たとき
僕は「ざっくり言うとこの2つ」と答えた。
1、相手から受け取る力がつく
2、相手から受けたものから、
考えて、ではなく、衝動的、あるいは直感的に反応、または行動する力がつく
自分が教えてきて、あるいは自分自身やっていて、または一緒にやっている人たちを見てきて
今のところ思うのはどうやら、
人によって違いはあるけれど、日本人は2番目の方が遥かに苦手だということだ。
今まで生きてきたなかで身につけた社会性が邪魔をして、感じたままに反応できない。行動するのはさらに難しい。
反応は行動することだけじゃない。表情や身体的な動き(挙動)として表れる。
大きな動きはなくても、その人の内面で起きていることが、表情だったり呼吸に表れていれば、俳優として観ていたくなる。
考えることがあまりにも染み付いていると、この反応が見られなくなる。
内面で起きていることが表に出にくい状態になる。
さらに言うと、本人も何を感じているのか分からなかったりする。
感じていないから反応できないんじゃなく、
反応を抑えているから、だんだん感じることもできなくなる。
なんて恐ろしい。
でもこういう人いっぱいいる。
こないだはできてたのに、今日はそうなってしまうこともある。
人は普段「今自分はこんな気持ちになっている」と確認しながら生きてなんかいない。
だから俳優に「今どんな気持ちになってるの?」と聞くのは、ちょっと難しい。
「自分の感情は・・・」と常に意識が自分の方へ向く俳優を作ってしまう。
「感情の動きを全部表現して」とか言うのはもっと危険だ。
「自分がこう感じている」のを見せようとしてしまうから。
ただでさえ自分に関心が強い、俳優という種類の人たちを更に内向的にさせるのはやめたほうがいい。
だから「表現して」とは僕は言わない。
だけど、感じているだろうことに気付かず、あるいは無意識的に避けて、ないものにして、違う反応を見せると、俳優としては問題になってくる。
観ていて共感しにくくなるから。
師匠のスコットは「リピテションで相手に意識が向いていれば、自意識や思考から解放されて自ずと反応が出てくる」という考えだった。
僕もそう思う。
彼はそれに加えて「Fuck Polite (礼儀なんてくそくらえ)」という言葉を言い続け、基本的に褒めて、何かを言うときは俳優が自分で気が付くようにサジェストした。
そうやって俳優が萎縮も遠慮もせず、衝動的に反応することを促し、励ました。
だけどこれは、時間がかかる!
繰り返し繰り返し、リピテションを何回もやって、
振り返ってみて、自分の傾向や課題を考えて、
実は根っこが深い・・・と落ち込んだりもして、
人がやるのも見て、
前進したり、失敗するのを見て、触発されて、
挑戦と失敗、成功も繰り返して、
ちょっとずつ進歩していく。
自分が衝動的になるのを、自分に許せるようになる。
それがその人なりに出来たとき、祝福のダンスを踊ってもいい。
それくらい、めでたいことなんだと思う。
人間が人間に戻ることができた瞬間なのだから。
自分勝手な、感情や欲求を発散するだけの、あるいは俳優自身の課題をクリアするための無理矢理な行動ではない、
相手から受けた衝動による、受けたままに、盛りもせず、抑えもしない反応。(俳優はオーバアクティングが怖い)
こないだのWSで、ある参加者が「東京で生きてると・・・」と言っていた。
人は、それぞれの状況で最適な行動を取っている。
他の動物と同じ。
本当に感じているものを表に出さない。
たとえば、笑顔に変換して出すのは、
その下で本当に感じているものを出すのはリスクがあるからだ。
相手を傷つけるかもしれない、怒らせるかもしれない、馬鹿にされるかもしれない。
だから、当たり障りのない、笑顔に変える。
あるいは、無表情だったり、
公共の場での「見てませんよ」「聞いてませんよ」「関わってませんよ」という態度。
あるいは「全然気にしてませんよ」という態度。
自分という人間を、本来より小さくして生きている。本当はもう十分魅力的なのに。
毎日そうやって生きているのに、それを突然「出して」と言われても、難しいのかもしれない。
俳優も人間だ。
まず絶対に必要なのが、安全な環境。
全部出しても良い場だと、失敗しても全然良いんだと、俳優が思えるように。
そして出たものを、下手に個人的に受け止めて引きずらないように。
そういう環境を作るのが、講師/ファシリテーターの仕事でもある。
あとは、やる人の「自分は何でこれをやっているのか」というモチベーション。
俳優としてどうなりたいのか?どんな演技がしたくて、ここにいるのか?
何を手に入れたくてここにいるのか?
それがあるから、一歩前に踏み出せる。
表現者としての経験がここで活きてくるなと、色んな参加者を見ていて思う。
時間がかかる道のりを、ちょっとでも縮めてあげられるやり方を、
ガイドできる方法を模索している。
「礼儀なんかくそくらえ」というのは演技をしているとき、ものを作っているときのことであって、俳優の世界でも適度な礼儀は必要です。念のため。
Blog
人間になる
Blog