演技の話をしていて、時折キーワードになるのが「手放すこと」。
コントロールをしない、しようとしないということだ。
コントロールしているとき、俳優の意識は自分自身に向かい、
自分があらかじめ考えたとおりになっているのかをチェックしている。
共演者や周りを見ているようで見ていない、
聞いているようで聞いいてない。
コントロールをしているかぎり、相手のセリフを聞いて動かされるということはない。
その涙はおそらく自分のイメージを見て流れたものだ。
「恋に落ちる」という表現は、英語の「fall in love」が輸入されて生まれたという。
パトリック・マーバーの『Closer』ではこんなやりとりがある。
Anna I fell in love with him, Alice.
アンナ 彼と恋に落ちてしまったの、アリス。Alice That’s the most stupid expression in the world. ‘I fell in love’ – as if you had no choice.
There’s a moment, there’s always a moment; I can do this, I can give in this or I can resist it. I don’t know when
your moment was but I bet there was one.
アリス それって世界で一番頭悪い表現だよね。「恋に落ちちゃったの」———まるで選択肢がなかったみたい。
選ぶ瞬間があるの、いつだってあるの。私にはこれはできるとか、ちょっとこれは無理だとか、これなら抵抗できるとか。あんたのその瞬間がいつかは知らないけど、絶対にあったはず。Anna Yes, there was.
アンナ そうね、あった。Alice You didn’t fall in love, you gave in to temptation.
アリス あんたは恋に落ちたんじゃない、誘惑に負けただけ。Anna Well, you fell in love with him.
アンナ まぁ、自分だって恋に落ちたんでしょ。Alice No, I chose him. …I didn’t fall in love, I chose to.
アリス 違う、私は彼を選んだ。(中略)私は恋に落ちてない、選んだの。
自分の恋人を奪ったアンナが「恋に落ちてしまったの」と言い訳するのを
アリスが「恋人のいる彼の誘惑に負けて、(夫を捨て)自分でそんな男と一緒になることを選択したんだ」と徹底的に反論するシーン。アンナの分が悪いように思える。
人間の行動は、その人自身の意志の選択によるものなのか否か?について考えさせれる面白いやりとりだ。
しかし、そうせざるをえない要素が揃っていたとしても、最終的に選択肢からどれを選ぶかはその人の意思だと、僕も思う。
しかし、物語の終盤に、アリス以外の登場人物から、彼女も「恋に落ちた」という言葉を使っていたことが分かる。
やはり恋はするのものではなく「落ちる」ものなのかもしれない。
誰かに恋をするとき、人は「落ちていく」のかもしれない。
それまで自分が立っていた地面はなくなり、手で掴む物もない。
この先どうなるのか、どこにたどり着くのかも分からない。
やわらかく受け止めてもらい着地できるのかも、あるいは冷たく硬い地面に叩きつけられて苦しむのかも。
完全に自らのコントロールを失っている。
それが怖いことだと知っているから、人は恋に落ちなくなる。
自分のコントロールを失わないように用心深くなる。
何かを掴んだその手を放そうとしない。
でも、もしかしたら、落ちながら飛ぶことを知るのかもしれない。
落ちているものだとばかり思っていたら、実は飛んでいるのかもしれない。
少なくともその手を離さないかぎり、空を飛ぶことはないだろう。
演技も同じなのかもしれない。
