The Jungle@Playhouse Theatre。young Vicからのトランスファー。
今月は節約のため観劇も控えていたけど、楽しみにしてた作品をついに観ることができた。
フランス、カレの難民キャンプで実際にボランティアをした演劇人が作った作品(彼らはそこで難民となってしまった人たちが表現をできるように劇場を作ったらしい)。
【ネタバレするので、観るかもしれない人は読まないほうがいいです。それか目を閉じててください】
ウェストエンドの劇場が難民キャンプのアフガニスタンレストランへと様変わり。ステージには土が敷かれ、の簡易ベンチに座った。触れるくらいの隣や背後で怒鳴りあったり取っ組み合ったり、テントに潜り込んだり。荒い息遣いに、こちらの呼吸も同調していた。
カレのキャンプは結局破壊されたし、多くは途中で力尽きたり、家族を失ったり、運良くイギリスに渡れたとしても孤独が待っている。スーダンからの17歳の少年のスマホの着信音がThe White Cliffs of Doverというのは出来すぎだとしても哀しい。
ドラマとしても素晴らしいし、演技もよかった。感動的なシーンもあるが、感傷的にはなれない。
観客は皆このキャンプがどうなるか知ってるし、解決できないジレンマのなかで憤りや疲れや悲しみ、無力感や罪悪感、あるいは憎しみを、イギリスからのボランティアたちの葛藤を通して、感じた。
それはきっと多くのヨーロッパの、イギリスの人たちが感じ続けてきたことなのだろう。
たとえば登場人物でもあるクルド人のことを考えると、その背景にはイギリス(とフランス、そしてロシア)という帝国の影響がある(イスラエル・パレスチナの問題もそうだ)。
あるいは、Brexitや移民に対する攻撃を考えると、この作品をウェストエンドの観客がどう見るのかと興味深いが、
じゃあ自分はどうなんだと返ってくる。日本は?日本人は?地理的な距離だけでなく、この圧倒的な心理的な距離をどう捉えるのか?日本で難民申請をしている人たちに起きていることは?牛久入館収容所で起こっていることは?http://www.afpbb.com/articles/-/3174946
演出的にも弛緩の差がつけられ、軽やかに楽しませもする。
さすがに全員にではないけど、チャイが出されたり、よく見えなかったけどチキンか何かの料理やナンが出されたり。
僕は「新しくキャンプに来た難民」として、俳優たちに囲まれた。「彼は逃れてきて……、うん、5ヶ月くらいかな」
同じイマーシブシアターでも観客との関わり方という点では、Bridge Theatreの「ジュリアス・シーザー」より、良いバランスに感じた。
私たちは劇場にいる観客であり、同時にジャングルのレストランに腰をおろす難民の一人である。
また、彼らの目指した対岸で不自由ない生活を送り、ジャングルがどういう結末を迎えたか報道を通じて知り冷静に眺めつつ、
実際にそこで何が起こり、同じ一人の人間にどんなインパクトのあることが起きたのか知りたいと前のめりになる。
無意識に現実と虚構を行き来している、あるいはそう動かされているわけだが、そこに無理が生じなかった。
ある難民がボランティアに言うように「分かるか?分からないだろ」と圧倒的な距離を見せつつ「もしもこれが自分や家族に起こったら」と想像させる。
考えてみれば、演劇はあいだにあるものだ。
現実と虚構のあいだ。
わたしとあなたの、あるいは彼、または彼女たちとのあいだ。
俳優たちと観客のあいだ。
役者と役のあいだ。
キャンプでは、40以上のナショナリティがあり、異なる人種、宗教だけでなく、たとえばシーアとスンニという対立する宗派も、生きるために団結する。過酷な状況でも希望を持ち、軽やかに歌い踊りもする。
観終わったあとに、ズンと無力感と罪悪感が残ったが、作り手は決してそのために作ったわけじゃないはずだ。
https://www.broadwayworld.com/westend/article/BWW-Interview-Joe-Murphy-And-Joe-Robertson-Talk-THE-JUNGLE-at-Playhouse-Theatre-20180625
ちなみにこの作品を作ったカンパニーは今もパリで活動を広げている。https://www.goodchance.org.uk/
モノローグは俳優の言葉の力と観客の想像力がうまく働きあうような素晴らしいものだった。
屋台崩し的な演出もあってテント芝居を思わせた。ドラマとしても強力なうねりがあって力強かった。だけど冷静に突き放して終わる。
今季ナンバー5に間違いなく入る作品だった。
普段舞台の写真は撮らないし載せないけど、話を広げ関心を持ってもらうのが一番だし今回は許されるだろうと思い、載せることにする。