マイズナーテクニックで目指す演技は「真実の状態で生きている」。
「真実の状態」は、心と体が繋がっている状態、と言える。
「生きている」とは、つまりその状況に反応していること。
そのためにリピテションを通して、相手を観察し、生まれた衝動に忠実に反応する練習をする。
観察することはできるけれど、反応するのが難しい、とたくさん俳優を見て思う。
社会性を取り払った、正直な反応が。
俳優は職人であると同時に芸術家でもあると思うけれど、
その俳優だって日本社会でこれまで生きるうちに身につけたものがたくさんある。
社会で生きるために必要な諸々のこと、
「芸術家」であるのを難しくさせる可能性のある諸々のこと。
日本で生きることは、実は結構な社会からのプレッシャーの影響を受けて生きることだと思う。
いざ演技をするとき、
正直に衝動に対して反応しようとしても、難しいことがある。
「これをやると相手が嫌がる」「ダメな俳優と思われてしまう」 と自分で、ほぼ無意識的に、制限をかけてしまう。
そもそも自分で何かをブロックしていることに気づかないことだって往々にしてある。
「自分は『怖い』なんて感じていない」。
だからこそ、時間をかけて繰り返しやっていくことが有効だ。
自分で振り返る時間や人がやっているのを観察するプロセスが、次に自分がやるときに活きてくる。
自分の癖やパターンに気付き、意識をし、俳優として演技のために、そこから離れる選択をする。
縛っているものを解いていく。
あるいは「素直になる」と表現した人もいた。
(癖やパターンは必ずしもダメなものとは言えない。社会で生き抜くために必要だったのだから。実際には有効ではないこともあるけれど)
筋トレのように繰り返しながら
「相手を観察し、相手から受けた衝動に反応する力」をつけていく。
環境も大事。
自分で制限をかけないためには
「その制限を外しても大丈夫」と安心できる環境が必要。
評価やジャッジメントのない場所。
自分たちがいる稽古場は演技トレーニングのための場所であり、
気付きや技術を得る場所ではあっても、自尊心や自立心、健康を損なう場所ではない。
自分の力を誇示するための場でもない。
エゴのための場所ではない。
まずはそういう共通認識があって、そのための枠組みがある。
リピテションで「相手の挙動にフォーカスする」というやり方はそのことにも関わってくる。
相手の挙動にフォーカスするという基本に忠実にやっていれば、
どんなに強くて激しい感情が生まれたとしても、それに飲み込まれて自分ひとりになることはない。
今目の前にいる相手と関係のない、自分が出したい感情等を発散することもない。
「自分はそうしたいから」と相手との関係を切って、自分の欲求に溺れることもない。
見た目に関する言葉や、
罵詈雑言(たとえば「あなたは禿げている」「デブ」「不細工」「バカ」「~人」等)はなくなり、
稽古場で無駄に傷つくことはない。
きっと俳優それぞれ課題があって、その課題を超えたいという目標はあるだろうけど、
そのためだけにリピテションをやられても困る。
相手と関係なく「苦手な感情や関わり方をクリアした」と満足されても
本当にそれでいいのかと思う。
「相手の挙動にフォーカスする」は根本的な要素なのだ。
前回に続き、これもRADAのスタジオ。古い部屋。